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デジタルの「教」、アナログの「育」

2025/07/20

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こんにちは。


教育において、「デジタル」か「アナログ」かの選別には様々な意見があります。
最近は、教育の現場に「デジタル」が導入されはじめ、その活用が注目されています。その活用事例もだいぶ集積されてきたのも事実です。

ただ、このデジタルの活用は、「教育」全体というより、「教えること」、「学習すること」に重点が置かれているのではないでしょうか。例えば、解説動画を組み込む、演習をするといったことはデジタルによってだいぶ様変わりしています。効率的になったと表現が適当になるでしょう。教えることの効率化、学習することの効率化がデジタルによってなしえたことだと言えます。

では、「デジタル」で児童・生徒を「育てること」はできるのでしょうか。
人が人を育てるために必要なことの一つにコミュニケーションがあります。そのコミュニケーションも「デジタル」を媒介にし、人と人がひざを突き合わさずにおこなっていて、果たして大事なことを伝えきることができるのでしょうか。

仕事場でこんな場面がありませんか?
「この前送ったファイル(書面)にこう書いてあります。」
「分からないことはこのファイルを見てください。」
「お問合せはすべてチャットでお願いします。」

これはコミュニケーションなのでしょうか。このようなことを通して、受けて側は、何を大事にするべきかを判断することもできませんし、むしろ反発を覚えさえします。こういったことは意思(情報)を発信する側の都合で終わっていることが大部分なのです。それを受けてにも強制することは果たして妥当なのでしょうか。
もちろん、業務の効率化と言えばそれまでです。仕事においていかに無駄を省き、パフォーマンスを向上させるかは大事なことでしょう。しかし、注意をしなければならないのは、効率化とは何かを削って成しえた結果です。その何かの中に本当は大事なことも含まれているのです。

「育てる」ためのコミュニケーションで、効率化が図られたらどうなるでしょう。単に表面上の情報だけが伝達され、言語化されていない大事なことが削られてしまったままコミュニケーションが進んでいけば、素敵な人に育てようとしても、なかなか育てきれないのではないでしょうか。「育てる」という部分においては、「アナログ」でなければならないのかもしれません。

そう考えてみると、「教育」を「教えること」と「育てること」に分けて考えて、「デジタル」と「アナログ」を使い分けていかなければならないはずです。「教育のデジタル化」「デジタル教育」という言葉に対して、もう少し省察を加えていかなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

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